不真面目駄学生の妄言

国際関係を学ぶコミュ障限界不真面目駄学生の書き散らし。

不真面目すぎて秘書を作った話

前回のゼミ日記は、不真面目駄学生を名乗るには不適切なほどに真面目な内容であった。量も14,000字を超え、参考文献リストまで付すことになるなど、もはや大学のレポートほどの内容となってしまった*1ことを、実はすこし反省している。そこでこの記事では、私がいかに不真面目であるかを語ると共に、この対応として秘書を作った話をしようと思う。

 

不真面目な話

ゴミを出すのが面倒くさい

下宿している大学生なら経験があると思うのだが、ゴミ出しって面倒くさいのだ。ゴミをまとめて集積所へ持っていくことが面倒(しかも朝にしなければならないのだ)なのは言うまでもないが、不真面目駄学生の私にとっては、そもそも前日に明日はなんのゴミの日だったかなと思い出すことすら面倒である。燃えるゴミの日はよい。私はこう見えて自炊はする駄学生なので、生ごみは結構頻繁に出ることから燃えるゴミの日くらいは習慣で覚えた。問題は、毎週出すわけではないが月イチくらいで出したい、しかし隔週になっているようなゴミである。
 たとえば私の住んでいるまちでは、ペットボトルの回収は2週間にいちど。私はペットボトル飲料を毎日飲むので、定期的にペットボトルを捨てなければならないのだが、気づけばペットボトルの日を1日超えていたり、「今週こそ!」と思うとペットボトルの週でなかったりするのだ。優秀な秘書がいて、毎晩「明日は◯◯ゴミですよ」と伝えてくれたらどれほど嬉しいだろうと、不真面目らしく感じるのである。

 

課題を出し忘れる

まさに私が不真面目と自覚する最大の理由が、課題を出し忘れることにある。出さないつもりがあるわけでもなければ、別に提出が困難な課題というわけではないのだ。授業のリアクションペーパー(数百字程度)とか、ちょっとした小テスト(10問、5分程度)とか。こういう些細な課題を出し忘れ続け、別に単位に問題はないがたいていBとかCという微妙な成績を取ってしまう典型的な不真面目大学生が生まれる。
 しかも悲しいことに、「あっ! 今日!!」と12時を少し過ぎたくらいに課題の存在を思い出すことも多いし、最も多いのは「課題を9割終わらせていて、あと少し書き足そうと思っていたら出し忘れた」という例。もはや芸術的なレベルで、不要な減点を食らっている。優秀な秘書がいて、「今日、これが締切ですけど提出しましたか?」と伝えてくれたらもう少し成績が改善するんだけどなあと、不真面目らしく感じるのである。

 

真面目な話

私は、以上に列挙したような不真面目さは秘書を雇うことによって解決するはずであると確信していた(え? そんなわけない? ハハハ…)。しかし当然ながら、大学生の身分で秘書を雇うほど豊かではないし、親戚にも友人にもアテはない。そこで私は、秘書を作ることを決意したのである。

プログラミングってこういう時に役に立つ

秘書を作る必要に迫られた(?)私は、プログラミングでこれを解決することを真っ先に思いついた。もともと私は機械いじり(ハードではなくてソフトの方)が結構好きだったので、プログラミングをすこーしだけ触ったことがあった。それに、普段からRやPythonを使って統計分析を行っているので、このPythonの知識を応用すれば行けるんじゃね? という漠然とした期待はあった(というか実は、2年くらい前に似たようなことをしたことがあったのだ)。ここでは「DiscordやLINEのチャットで、翌日のゴミや課題の締切を教えてくれる秘書を作る」という問題設定の元、プログラミングを書いた。
 そもそもLINEにはLINE Notifyというサービスがあって、Web通知サービスと連携すれば自動的に通知を受けられることは知っていたのだが、このWeb通知サービスを自作してやればAPIを叩けるんじゃないかと思ったのだった。じっさい、まさにこの方法を使って、手元のコンピュータからLINE Notifyを通してメッセージを送信することができた。
 また、私はかなりのLINEアンチで、普段のコミュニケーションはDiscordが中心なので、こちらにもメッセージを送信することにした。当初はBotのようなものを想定していたのだが、Discord Webhookというサービスを利用することで、一方的にメッセージを送信することもできることがわかったのでそちらにした。

詳しいことはQiitaで……

もし自身の環境で実践してみたいという方は、是非ググってほしい*2。様々なサイトで解説をされている上に、pythonの基礎的な部分さえわかっていればそこまで難しくはないので、例えば「授業でpythonの勉強をしたけどなんか面白いことできないかな」と思っている方は現実的なタスクとして挑戦してみるといいと思う。

Discord Webhook

Discordのサーバー設定>連携サービス から、Webhookを設定することができる(下図参照)。

Webhookの設定画面

「Webhookを作成」するとURLを取得することができ、これを利用してAPIを叩くようなイメージでメッセージを送信できる。Pythonではdiscordwebhookというモジュールを利用すればよい。具体的な次のようなコードを書く。 なお、hogehogeの部分には先程取得したurlを記述する。


    from discordwebhook import Discord
    import datetime
    url = 'hogehoge'
    
    discord = Discord(url = url)
    discord.post(content = 'Hello, World!')
  

たったこれだけで、Webhookを作成したチャンネルに下図のようにメッセージを送信することができる。LINE Notifyについてもこれと同様の方法を用いることで自動的にメッセージを送信することができる。ちなみに「秘書トリ」とは、2年前に作った秘書アプリの名前である。

秘書トリが喋った!!!

 

ただし課題がある

以上のコードを書くことさえできれば、コードを実行するたびにメッセージを送信することができる。メッセージの内容を「明日は◯曜日なので燃えるゴミです!」などと、曜日によって変えることによって秘書を作ることができる。
 ただし、このままでは不十分である。なぜなら、時刻を指定してスクリプトを実行しないと、結局の所「私が実行しないといけない」という本末転倒な結果になってしまうからだ。この対策については、Windowsユーザーの方なら「タスクスケジューラ」という機能が標準で搭載されているため問題はなく、Macは知らない。私はLinuxを使っているので、標準搭載のcronという機能を使用すればいいのだが、よく考えてみると指定した時刻にPCを起動していなければならないという問題があることに気づく。私とて毎日24時間PCに向かっているわけではないし、基本的には電源を落としているので、これによって定期タスクが実行されないと、それはそれで困るのだ。

この問題への解決策はいくつか考えられる。例えばレンタルサーバを利用するとか、Raspberry Piのようなものを常時可動させることなどである。しかし、ここまでプログラミングのことを話しておいて今更なんだと言われるかも知れないが、私は理系学生でなければプログラミングを授業などで学んだことはなく、サーバーとか詳しいことはよくわからないのだ。周りに詳しい人もいなさそうなので、これは完全に詰んでしまったのだろうか。

 

しかし、こんなことで諦める私ではない。不真面目というアイデンティティを守るため、どうにかして解決策を見つけようと思う。

*1:字数で言えば、大学のレポートを大きく超えている

*2:ところで、ggrksって最近は見かけないのだが、やはりネットリテラシーが下がったことの証左なのだろうか。

【ゼミ日記】交渉理論と数理政治学

私の所属している大学にはゼミ(ゼミナール)と呼ばれる授業があり、すべての学生がいずれかのゼミに所属して毎週の授業を受けることが必修である。この記事では、私が所属するゼミの議論で生まれた論点やその議論の内容、さらなる発展のためのメモを雑多に綴っている。

 

ゼミ概論

ゼミとは何か?

ゼミの形式は大学によって様々である。ある大学では、1学期(セメスター制。クォーター制でいう2学期)の間に限って特定の教員のもとに集い行われる自由選択の科目であるし、ある大学では初年次から一定の興味・関心に基づいてゼミナールに振り分けられ、一年間の必修授業として受講する科目である。理系の学生は3年次に「研究室」に配属され(選択し)、卒論の執筆に向けて2年間かけて研究を行うことが一般的なのだが、ゼミはこの研究室文化の文系版ともいえる文化で、ただし、文系の学部では卒論の執筆が必須でないことも多く、そういう意味でゼミは理系の研究室と比べて比較的緩やかであることが多い。
 カリキュラム内における位置づけが大学によって大きく異なるとしても、その内容は概ね同質である。すなわち、一定の文献をゼミ生が読み、そのうちの数名が「報告者*1」として資料を作成して文献の内容の要約や論点の提示を行った上で、これに呼応する形で他のゼミ生を含めてより深い議論を行うというものだ。つまり一般の講義と比較した時に「ゼミ」とは、より専門的で濃密なディスカッションを少人数の学生主体で行うものと理解できる。

私のゼミ(仮題)

以上では一般にゼミとは何かについて検討したが、ここでは私の所属するゼミについて簡単に紹介する。

私の所属するゼミは、指導教員のO先生を中心とする10名前後のゼミで、専攻は国際関係論、国際政治理論である。「国際関係論」についての説明は他の記事や書籍に譲るとして、ここでは、国際関係における国家(や非国家)主体の行動を大きな理論的枠組みで捉えて分析を行うと理解していただければよい。また、O先生のサブフィールドから紛争というサブフィールドをより扱うことが多かったり、数理政治学・計量政治学の方法論を用いた分析アプローチをとることが多かったりする*2
 実際のゼミにあっては、毎週国際関係論の論文を2本読み、報告者はこれに基づいて資料を作成する。他のゼミ生も当然当該論文を読んで来て、ゼミの場面で一堂に会しその内容について議論を行う。ゼミの司会進行は報告者のゼミ生が行うため、議論そのものは週によって内容も方向性も全く異なるのだが、概ね次のようにまとめられる。すなわち、(1)論文内で展開される理論の妥当性・説明力に関する議論、(2)他の国際政治理論との関係についての議論、(3)論文内で用いられる方法論の妥当性に関する議論、(4)歴史的事実・現在の国際情勢についてその理論が説明力をもつかという議論の4点が主なテーマとなることが多い。
 また、報告者以外のゼミ生は、ゼミまでに「ディスカッションクエッション」と呼ばれる議題を挙げることが求められる。これはゼミの事前にゼミ生に共有されるのだが、論文を読んで感じたことや理論に対する疑問点、現実問題への適用などをざっくばらんに投稿する。したがって司会者は、これらのディスカッションクエッションを元に新興を行うことが多い。

ところでO先生は何をしているのかというと、基本的には沈黙である。学生たちの議論を時に微笑ましそうに、時に悲しそうに、時に切なそうに見守っている。知らんけど。どのように見守っているのかは分からないが、じっさい先生は議論を聞いていることが多い。そして、議論に誤解があるときや詰まってしまったときに、理論的説明を加えたり論点の整理を行ったり、または新しい論点を提示したりする。そして、ゼミの最後に総括を行ってくださるのだが、これがとても示唆に富んでいる。「うわー、その論点めっちゃ面白そうじゃん。もっと早く聞きたかったー。」とか、「その事実知らなかったー。だったらあの議論はこんな風にできたじゃないか。」といった内容であることが多く、毎回目から鱗が落ちる思いである(なんだその表現)。

ゼミ日記

これまで見てきたように、私の所属するゼミは不真面目駄学生の私にはそぐわないほど真面目なゼミである。議論も活発(?)で、その上現在の世界政治を分析するのに有用な視点・理論を様々学ぶことができる
 私がこの「ゼミ日記」を執筆するのは、まさにこの示唆に富み様々な論点を内包しているゼミでの議論を備忘録として残し、後学のためにその内容を刻んでおくためである。ゼミが終わってからその内容をまとめることで自分自身の復習にもなるし、あとで読み返すとまた異なった視点や論点が得られるかも知れないという意味で、私にとって一石二鳥なのだ。

ゼミ日記は、(1)論文の要約及び(2)当日の議論をベースとしてその内容をまとめる。必要があれば適宜補足的説明を追加しているが、これは後から調べたものも含まれる。発言者はランダムなアルファベットを振って区別し、これは別のゼミ日記にも共通している*3。議論の内容は私が重要と思った部分だけまとめているので、「ここに記されていないだけで議論された」内容もあり得ることに留意されたい。
 最後に、この記事を何らかの理由で偶然にも見つけてしまった私のゼミの仲間がもしいたら、私には言わず心の中に留めておいてほしい(もちろん、恥ずかしいからである)。

 

すでに2000字を超える文章量になっているが、このままだとゼミの説明をしただけで何も中身のない記事になってしまうので、以下本編として「ゼミ日記」第1回をお楽しみください。

 

ここから本編(遅)

今回のゼミは、VさんとRさんが報告者だった。後述するように、今回扱った論文はそれぞれ数理政治学の理論構築と計量政治学の実証分析であり、いずれも少し難しめの数学的議論があったことから、事前のディスカッションクエッション(論点・議題)は中々出なかった*4

具体的な議論を見る前に、まずは全体を振り返ってゼミの進行について私の感想を述べたいと思う。これはゼミの仲間に読まれたら非常にまずいのだが、もう少し他の方々にも発言してほしかった。以下で見るように、8人程度いるメンバーのうち私は半分ほど発言しているのだが、これは私がでしゃばっていたり話したくて仕方なく自制できていなかったりするわけではない(こう言うと言い訳に聞こえる、悔しい)。私も色んな人の意見を聞いてみたいので、発言する前に必ず他人の発言を待つようにしているのだが、さすがに1分間も沈黙が続くと話せる人が口を開くほかない。このようにして、あたかも私がたくさん話しているかのような状況が出来上がってしまうのある。この原因は分からないが、やはり(1)他のゼミ生が(院進を考える)私ほど国際関係論に熱がないこと及び(2)事前にアサインメントを読んでくることの大変さ、そして(3)数理モデルの複雑さがあると考えられる。これは私がどうこうできることではないので、今後も同じように進んでいくことが予想される。少し悲しい。
 また、O先生から少し指摘があった通り、報告がやや長くなっている傾向にある。これは私も意識しなければならないのだが、報告資料は回を追う毎にページ数を増やし(今回はなんと17ページである!)、報告時間は30〜40分に及ぶ回もある。議論の時間をなるべく多く確保するという意味でも、もう少し報告の時間を抑えてよいと感じた。
 議論の内容は、とてもおもしろかった。合理主義的アプローチはもともと私が国際関係研究に興味を持った方法論だったこともあり(別の授業で2年生の時に学んだFearonが、当時の私には衝撃的であった)、また、前期のゼミとこれまでのゼミを通して身につけた国際関係論の分析方法をもあって、現在抱える国際問題を少しずつ分析できるようになってきたことが実感できた。ただ、最近は「パワー」をキーワードにゼミが進行しているため少しリアリズムによっているかも知れないことを常に意識している必要がある。その意味で、以前扱ったBarnett & Duvall (2005)などで展開されるパワー概念の拡大または広域化という観点も頭に入れておきたい。軍事力・経済力のような伝統的な意味でのパワーだけでなく、規範、ルール、協調、文化などといったより広義のパワーの存在を考えることによって説得的な議論を心がけたいと思う。

 

アサインメント

今回のゼミで扱った論文は、次の2本である。

  • Morin, JF., Tremblay-Auger, B., Peacock, C. (2022). Design Trade-Offs Under Power Asymmetry: COPs and Flexibility Clauses. Global Environmental Politics, 22(1), 19–43
  • Powell, R. (2006). War as a Commitment Problem. International Organization, 60(1), 169–203.
以下、簡単に要約する。
Morin, JF., Tremblay-Auger, B., Peacock, C. (2022)

この論文は、環境問題に関する国際合意(International Environmental Agreement, IEA)における柔軟性条項[flexibility clauses]についての実証分析を行っている。
 IEAにおいてCOP(Conference of the Parties, 締約国会議)が設置されることがあるが、加盟国の間にパワーの非対称性があるとき強国がそのパワーを乱用してCOPを乗っ取ってしまう可能性がある。このような小国の不安(不確実性)を解消する手段の一つとして考えられる手段のひとつが、脱退や留保の規定を定めた柔軟性条項(flexibility clauses)を協定に組み込むことである。そして、このような理論から次のような仮説が考えられる:パワーの非対称性があり、しかもCOPのような集団組織(collective body)が存在する場合に、柔軟性条項が含まれやすい。これを検証するために、柔軟性条項が含まれているかどうかを従属変数とする回帰分析を行っている。下表はその結果である(出所|当該文献内の表4)

Morin, et. al. (2022) Table 4

また、モデル4における限界効果のプロット(交差項プロット)は次の図の通りである(出所|当該文献の表2)。

Morin, et. al. (2022) Figure 2

これにより、高いパワーの非対称性がある場合(具体的には、その指標が0.55を超える場合)の集団組織の限界効果は統計的に有意に正であることがわかるため、仮説は支持される(なお、集団組織の平均限界効果は0.15(0.02)、パワーの非対称性の平均限界効果は-0.14(0.06)でいずれも統計的に有意である(有意水準α = 0.05))。

Powell (2006)

この論文では、合理的戦争原因論に関する従来の数理政治学における重要な仮定について検討している。戦争原因論と言えばFearon (1995)*5が有名だが、まさにFearon (1995)が主張する3つの合理的な戦争原因である(1)情報の不確実性、(2)交渉の不可分性、(3)コミットメント問題について再検討する内容である。
 この論文ではまず、情報の不確実性のアプローチによる説明の限界として、(1)長期化した紛争により相手の戦闘能力がわかるようになっても戦争を終結できない点と(2)不確実性がなかったとしても戦争を開始することがある点を挙げている。また交渉の不可分性のアプローチについては、完全情報の状況を考えることにより、交渉の内容が不可分であるから戦争を開始するのではなく、合理的には戦争を開始せずに合意に達することが可能であるもののその合意が守られる保障がないという意味でコミットメント問題であると主張する。したがって、合理的な戦争原因とは結局のところ情報の不確実性とコミットメント問題の2つのアプローチから説明ができるというのである。さらに数理モデルにより、コミットメント問題は情報の不確実性(非対称性)が存在していない完全情報の状況下においても起こりうる

 

議論

Morin(2022)|柔軟性条項の理論

Aさん「パワーの非対称があり、かつ集団組織が存在しないとき、この論文の理論によれば柔軟性条項が必要でないとされています。これはなぜなのでしょうか。」

補足すると、論文内ではパワーの有無及び集団組織の有無の組合せからなる4つのシナリオパターンにおいて、それぞれ柔軟性条項が必要とされるかという理論が提示されている。そのうち、パワーの非対称性があって集団組織がない場合というシナリオは "reduces the need to counterbalance this risk with flexibility mechanisms"として、柔軟性条項の必要性が少ないとされている。

私「そもそも柔軟性条項は、集団組織における大国の横暴みたいなものを防ぐことで小国が枠組みに参加しやすくするものとして理念化されるのであれば、集団組織がない場合は不要ではないでしょうか。集団組織がなければ、各国は合意に参加するかどうかを自由に選べるうえ、大国が枠組みをいいように改変することもできませんし。」

Vさん(司会)「ありがとうございます。柔軟性条項は大国の力を抑えるために存在しているという指摘ですよね。これについて少し考えることがあるんですが、リスク回避のためにあえて柔軟性条項を盛り込まないということも考えられるのではないでしょうか。柔軟性条項が『諸刃の剣("double-edged sword")』というのは主張にも合致します。ひふみさんや他の方々がディスカッションクエッションで挙げているように、柔軟性条項が大国に利用されることがあり得るようにも思えます。こういった例をなにか思いつく方はいらっしゃいますか?」

柔軟性条項が諸刃の剣("double-edged sword")というのは、この論文の中で取り上げられている考えである。すなわち、柔軟性条項を含めると小国が枠組みに参画しやすくなる一方で、国家がこの条項を利用して枠組みを脱退しやすくなり、枠組みの頑健性が脅かされるという意味で、柔軟性条項は「枠組みが成立しやすくするが、継続しにくくなる」という両面性をもっているのである。なお、この議論についてはBoockmann & Thurner (2006)やMarcoux(2009)も同様の主張を行っている。

Sさん「それこそひふみさんが挙げているように、トランプが一時パリ協定を脱退したというのはこの例といえるのではないですか。」

Vさん「たしかにそうですね。この事例を考えると、あえて柔軟性条項をもたないという決定も行えるかも知れません。」

Aさん「ひふみさんのいうように、『小国が枠組みに参加しやすくする』ための概念なのだとすれば、集団組織がなかったとしても柔軟性条項があったほうがよいと思うのですが」

後になって考えてみるとたしかに、集団組織がなかったとしても柔軟性条項があることは小国の参加を促進するように考えれる。したがって、大国が小国に合意へのコミットメントを示す方法として、柔軟性条項を盛り込むことは有効であるかも知れない。しかし「諸刃の剣」の議論も踏まえて考えると、柔軟性条項を含めるかどうかは枠組みの成立のしやすさと枠組みの継続しやすさのトレードオフであるため、小国の枠組み参画にそこまでの心配がない場合は枠組みの継続に重点を置き、あえて柔軟性条項を含めないという選択も充分に考えられる。これのどちらを選択するかについての理論的枠組みを他に考えることができそうである。

O先生「整理しましょう。まずAさんが提示した疑問についてですが、これはやはり柔軟性条項が集団組織における大国の横暴を防ぐために作られるという趣旨ですから、集団組織がなければ必要性は低いと考えているのだと思います。とはいえ、低いだけで不要とまでは言っていないので、では集団組織がない状態での柔軟性条項の必要性については議論が必要でしょう。」

「また、ひふみさんやSさんが言うような『大国による柔軟性条項の利用』については、これはまた別のテーマだといえます。」

Vさん「ありがとうございます。ところで、柔軟性条項が諸刃の剣という点についてもう少し考えたいと思います。柔軟性条項があることによって枠組みの成立はしやすくなったと言えますが、この論文では枠組みの継続性について一切言及していないと考えます。では、枠組みが継続するためにできることとしてどなたかアイデア思いつきますか?」

ここで私は一つ反省しなければならないことを告白する。私はふだん計量分析を勉強している身なので、報告者の作成した資料内における計量分析の解釈が不適切だったことがとても気になってしまい、議論のはじめの20分ほどをその質問や確認に使ってしまった(もちろん私はプロフェッショナルというわけではないので、「これってこのように解釈してよいのですか?」とか「私はこのように思うんですが…」という風に少し冗長というか遠回りをしてしまった節があり、この点も反省している)。したがって議論の残り時間が減ってしまい、少し焦っていたことから、次のような稚拙な返事をしてしまった。

私「では、柔軟性条項を含んだコンスティチューションをつくり、一度成立してから大国が柔軟性条項を削除するような方法とかどうですか。」

Vさん「なるほど。それは少し横暴にも聞こえますが、面白いアイデアですね。」

もう一つ告白するのであれば、ここで心の中で「面白くはないと思います」と自分の発言に対して反論した。

私「そういう大国の横暴を防ぐために柔軟性条項を含んでいるのですから、大国が削除しようとすれば小国は柔軟性条項を利用して脱退していくと思います。」

なら最初から言うな。仰るとおりである。

Morin(2022)|パワーの非対称性の測定

Morin(2022)では、パワーの非対称性を「多国間の枠組みの中で最もパワーを持った国家が、全体の中でどれほどの割合のパワーを占有しているか」というように考えている。したがって、これを操作化するにあたって「すべての国家のGDPの総和のうち、最も大きい割合を占める国家のGDPの割合」と定義している。これについて議論があった。

Vさん「何人かが挙げてくださった論点なのですが、先日のゼミでも扱ったように、パワーを測定するのはGDPだけではないですよね。GDPは専ら経済力だけを表していて、例えば環境問題であればエネルギー資源の量などもその国家のパワーとして含める必要があるのではないかと思います。これについてどなたか意見がありませんか?」

私「この論文内では、分析のロバストネスチェックにおいてパワーの測定を別の方法でも行って操作化していると思うのですが、そこではどのような変数を使っていたんでしたっけ。」

Vさん「ということは、他の指標をパワーの測定に使っているということだと思うんですが、具体的に何を使っているとかありますか?」

私「オンラインにあるAppendixを見れば書いてありますが、まず操作化について最大国のGDPを最小国のGDPで割るという方法を使っています。また、別の変数として"Herfindahl", "Atkinson", "Gini"という指標を用いています。これが何を表しているのか私にはわかりません、すみません。」

Vさん「なるほど。では様々な指標を変わりに使っても同じように論文内の主張が支持できるのですね。」

この部分は私も気になっていて、ロバストネスチェックで用いられたパワー非対称性及びパワーそのものの測定方法はゼミ中にはわからなかったので、ゼミが終わってからAppendixをより詳しく読んでみた。すると、次のことがわかった。

  1. パワーの非対称性の指標としてHerfindahl-Hirschman index、Atkinson index、Gini indexという指標を用いている
  2. パワーの指標としてCINC*6を用いている。

Herfindahl-Hirschman index、Atkinson index、Gini indexという指標は知らなかったが、どうやら調べてみると経済学における指標で、産業内におけるある企業の相対的大きさなどといったパワーの非対称な配分を表す指標であるらしい(ジニ係数という言葉はどこかで聞いたことがあるような…?)。非対称性の指標は経済学において様々あることが考えられるため、研究の際にはそれらを参照することも有用だといえる。
 CINCについては、以前このゼミで読んだ論文(Beckley, 2018)にも扱われていた国家のパワーを表す代表的な指標の一つで、GDPに代替するより広い概念でのパワー概念であるとされる。ただし多くの実証分析でもそうであるように、GDPをCINCに置き換えたとしても回帰分析の結果は大して変わらず、したがって私は、CINCがGDPよりも優れた指標とはいえず概ね同質の指標であると理解している。

 

パワーの非対称性について、読んでみたい論文があったのでここにメモを残しておく。Miller(2005)では、経済学における"Principal-Agent Models"というモデルを援用して説明している。

Powell(2006)|冷戦におけるイデオロギー対立

Rさん(司会)「Powell(2006)だと、イデオロギーのような価値という一見不可分なものでも、これを分割する合意ができると言っていますね。しかし、冷戦における朝鮮戦争ベトナム戦争イデオロギーをめぐって勃発した『価値観の衝突での戦争』だと考えるんですが、これはどうなんでしょうか。また、これに関連するディスカッションクエッションとしてひふみさんが挙げていた『日中・日ロ・日韓には領土問題があり、さらにパワーシフトもあるにも関わらずこれらを原因とした戦争の蓋然性は高まっていないように見えるのはなぜだろうか。』というクエッションも考えてみたいと思います。」

私「1点目の冷戦についてPowell(2006)がその意見に反論するとすれば、こうなるのではないでしょうか。すなわち、朝鮮戦争[ベトナム戦争]においては、南北朝鮮[南北ベトナム]が例えば領土をめぐって合意したほうが、戦争するよりもコストが低く最終的に得られるベネフィットは多いわけです。完全情報下ではそれがわかっているので、両国が充分に合理的であれば戦争をせずに分割する合意をするはずなんだけれども、しかしその合意が守られる保障がないから戦争に突入してしまうというコミットメント問題がおこるということです。したがって、朝鮮戦争[ベトナム戦争]が起こったのはイデオロギーを分割できないからではなく、イデオロギー分割に関する合意について信頼できないからということになります。」

Rさん「なるほど。そういうことなのですね。しかし、本当にイデオロギーの分割ができるのか私には疑問です。領土もそうですが、ベネフィットが大きいからと言って本当に合意を選択するんでしょうか。」

私「んー、両国が合理的なら、というべきなのかも知れません。」

Rさん「合理的なら……」

O先生「価値の不可分性について少し例を交えて考えてみましょうか。例えば(隣同士で座っている)KさんとSさんが[1カットの]ケーキを取り合っているとしましょう。いや、分割できないケーキというのもおかしな話ですが、まあいいや。これを2人がどちらも食べたいとしますが、お互いに譲らないわけですね。しかし、ここで2人が殴り合いの喧嘩をすると、勝ったとしてもそのケーキは傷がついているわけで、それくらいだったら最初からどうにか分割して分け合ったほうが良かったことになりますよね。この分割の割合を殴り合いの勝率で決めてしまうというのが、合理的な合意ですね。」

Rさん「では、2人はそう思ったとしてケーキの一部を相手に譲渡することをよしとするんですか?」

O先生「現実には難しいかも知れません。たとえばKさんが、『このケーキは絶対に俺がすべて食べるんだ』という確固たる意思を持っている場合、Kさんは傷を覚悟で殴り合いをふっかけるかも知れません。こういう状況はまさにPowellには説明できない限界というか、Powellは『そんな考えを持つ国家のことは考えていない』と弁明することになります。」

私なりに解釈するとすれば、最後のこの2人の会話は「合理的」ということを扱っていると考えられ、すなわち、O先生の言う「そんな考えを持つ国家」というのがまさに非合理的な国家を表しているということである。Kさんがベネフィットが多く得られる合意をしようと考えるなら合理的、ベネフィットを考えずに殴り合いをふっかけるなら非合理的といえ、合理主義的アプローチにおいてはこのような合理主義の枠組みの外にある現象については説明力をもたないため、別のアプローチを考える必要があるのだろう。

 

Powell(2006)|日本が抱える領土問題について

O先生「ただ、今の説明はひふみさんのディスカッションクエッションには答えていないと思うので、そちらも議論してみましょう」

Rさん「わかりました。では、これについてどなたか意見ありますか? 例えばKさんどうでしょう?」

もう一度確認しておくと「ひふみさんのディスカッションクエッション」とはこれである:日中・日ロ・日韓には領土問題があり、さらにパワーシフトもあるにも関わらずこれらを原因とした戦争の蓋然性は高まっていないように見えるのはなぜだろうか。
 問題を少し具体的に考えてみよう。日本は中国と尖閣諸島の領有権をめぐって意見が対立しており、実効支配をしているのは日本であるものの中国が軍事力を背景とした圧力をかけている。仮に日中関係が完全情報であったとして合理的戦争原因論に従うのであれば、ここ数十年に見られる中国のパワー増大は日本にとって将来の危険性と考えられるのであるから、日本は予防戦争をしかけるはずである。ところが、現実には日中戦争は勃発しておらず、両国の緊張状態は継続しているものの直ちに戦争に突入するような危機的状況とはいえない。これはなぜなのだろうか。

Kさん「私が思うに、例えば尖閣諸島問題は現在のロシア・ウクライナ戦争の状況ににていると思います。ロシアからすると、交渉の相手はウクライナだけではなくてNATOも含まれるので予防戦争をしかける理由があります。一方中国が日本に対して軍事優位になったとはいっても、日米同盟があるのでパワーシフトは起こっていないと思います。」

O先生「つまり、単純な中国ー日本の関係で見るだけでは不十分で、例えば中国ー日米同盟と考える必要があるということですね。このような、『アクターないしプレイヤーが何であるか』という問い[ゲームのルール]を考えることも重要だと言えます。」

最後に、私がこの問題について考えた一つの「戦争が起こっていない原因」について説明したい。ただ、内容としては非常に過激というか机上の空論と言われても仕方ない程度捨象した議論であるので、現実問題の分析として適切であるとは必ずしも言えない上、公衆の場で大声で主張するような内容ではないため、私の政治的立場などを表明するものではないことを予め断っておく。
 Powell(2006)において対立する2つの国は、一見不可分に見える価値や領土もお互いの勝率に従って分割することが合理的な選択であるとされている。そこで私は、日露関係においては北方4島をロシアが実効支配し日本は返還を要求していること、日中関係においては尖閣諸島を日本が実効支配し中国がこれに対し軍事・外交の面から圧力をかけていることが、一種の合理的な(そして黙示的な)合意となっているのではないかと考える。北方領土問題における「風待ち論」とも少し異なるとは思うが、現状の境界線が合理的な均衡点となっており、これ以上の拡大(ロシアがより南下する、日本が4島を奪還する/中国が尖閣諸島を軍事的に攻略する、日本が尖閣諸島に軍事リソースを割く)はこの均衡を崩すという意味でコミットメント問題を引き起こす可能性が考えられ、むしろ戦争の蓋然性が高まるのではないだろうか。
 これらについては、また別の機会により詳しく検討してみたいと思う。

 

O先生の総括

ゼミの最後に、O先生から様々なコメントを頂いた。すべてを紹介することはできないが、コメントの内より発展的な議論や研究が考えられそうな2点だけ紹介する。
 第一に、コミットメント問題と現実問題についてである。コミットメント問題は、安全保障の分野で非常に重要な役割を果たしており、国家間戦争だけでなく政府ー反政府組織の対立、地域紛争、国家間交渉の場面においてもこの理論を適用して研究が行われている。しかしより重要なことに、現実の世界においてPowellやFearonが指摘するほどには悲観的な結果に至っていない。つまり、コミットメント問題が戦争を引き起こすというのが正しいのであれば、世界はもう少し戦争にあふれているといえるのだが、実際にはそうなっていない。この理由を考えることが、理論の精緻化や平和のための条件を考えることに貢献するだろうといえる。
 第二に、Morin, et. al.(2022)の論文は必ずしも因果関係を明らかにする実証分析ではないと考えられる*7ものの、次のようなインプリケーションを提示している。すなわち、パワーの非対称性があっても柔軟性条項があることにより小国が加盟しやすくなり、または枠組みが長続きしやすくなっている。このような仮説は、因果関係の手法などを用いることにより検証ができそうであるから、例えば卒論などで扱ってみるのも良いかも知れない。

 

おわりに

先述したように、後期のゼミは「パワー」特にパワーの非対称性をメインに扱っている。したがって、パワーとはなにか? という問から始まり、合理主義のアプローチで戦争が発生する原因を今回は扱った形だ。前期にも実はFearonを扱っているのだが、その時と比較してよりパワー概念に関する理解が深まった状態での議論ができたことは、私にとってとても有意義なことであった。
 とはいっても、議論内で何度か指摘があったように、現実の世界では時に合理的とは思えない行動をする国家ないし政治リーダーがいる(人によっては、プーチンは非合理的なアクターだと捉えるだろう)。こうした現象をも説明する必要が、世界政治を学ぶものとして求められているのだと考えるので、さらなる理論的発展を期待したいと思う。お前がその理論を考えるんだって? …がんばります。

 

参考文献

  • Barnett, M., & Duvall, R. (2005). Power in International Politics. International Organization, 59(1), 39–75.
  • Beckley, M. (2018). The Power of Nations: Measuring What Matters. International Security, 43(2), 7–44.
  • Boockmann, B., Thurner, P.W.  (2006). Flexibility provisions in multilateral environmental treaties. International Environmental Agreements: Politics, Law and Economics, 6, 113–135.
  • Fearon, J. D. (1995). Rationalist Explanations for War. International Organization, 49(3), 379–414.
  • Marcoux, C. (2009). Institutional Flexibility in the Design of Multilateral Environmental Agreements. Conflict Management and Peace Science, 26(2), 209–228.
  • Miller, G. J. (2005). The Political Evolution of Principal-Agent Models. Annual Review of Political Science, 8, 203–225.
  • Morin, JF., Tremblay-Auger, B., Peacock, C. (2022). Design Trade-Offs Under Power Asymmetry: COPs and Flexibility Clauses. Global Environmental Politics, 22(1), 19–43.
  • Powell, R. (2006). War as a Commitment Problem. International Organization, 60(1), 169–203.

 

 

*1:ところで、少なくとも政治学の分野、あるいはより広く社会科学の分野では発表者のことを「報告者」というのだが、これは他の分野でも同じなのだろうか。

*2:とくに計量政治学的方法論は私の最も興味を持っている方法論であるので、どこかで解説できたら嬉しいと思っているのだが、いかんせん勉強中の身であるので滅多なことは言えない。ひとまずは「計量政治学」「計量経済学」などで検索していただくのが手っ取り早いだろう。

*3:なぜなら、これによって発言者の理論的立場や「この発言者はこういう発言をすることが多い」という気づきも議論にとって重要で、何よりもそれが面白いからである。

*4:言うまでもなく学生は国際関係論を専攻する学生(私の所属する大学にあってはこれはすべて法学部の学生)であって、数学が専門というわけではないのである

*5:Fearon, J. D. (1995). Rationalist Explanations for War. International Organization, 49(3), 379–414

*6:CINCはパワーの指標としてよく用いられる指標で、Correlates of Warにおいて各国のCINCのデータセットが公開されている。

*7:論文内では、集団組織の存在が原因となって柔軟性条項が盛り込まれるという因果関係を想定して因果推論を行っているとしているが、実際この2つは同時的ないしは相互作用的に考えるべきであるから、因果関係と言い切ることはできない。

記念すべき(?)一本目

どうせ一本目のブログなんかほとんど人には見られない上に、きっといつか削除してしまうだろうなと思うので、当たり障りのないことを書いておこうと思う。自己紹介とかは嫌なので、不真面目な人がブログを始めるという逆説的な現象についてちょっと考えてみたい。

 

大学生は長文を書かない

現代の大学生にとってブログは、「ちょっと古い」というイメージがある。TwitterInstagramなどのSNSYouTubeなどの動画投稿サイトが発達して、情報発信の機会が多くなったが、それと同時に、長い文章を書いたり読んだりする機会が格段に減ったように感じる。じっさい、私の周りにいる大学生でブログを書いているという人は、ポケモンで全国大会に出て、その戦略などをブログ形式で公開しているような特殊な人を除いていない。

 ところが、大学生になると「レポート」という課題をこなすことになる。文理とか学部とか、授業によってその形式は色々あるのだが、総じていえるのは「ある程度まとまった長文を執筆する必要がある」ことなのだ。普段から長文を書かない人たちにとって、または書いても140字が限界な人たちにとって、3000文字のレポートは地獄のように感じられることだろう。なんせ20ツイート分の内容だ。一日にそんなに多くのツイートをしたら、「ツイ廃」と呼ばれてしまうことは必至だろう。

 

不真面目は長文を書けない?

……危ない、真面目な話をするところだった。不真面目駄学生の名折れではないか。とにかく、大学生にとって長文を書く機会は少ないのだ。駄学生の私も、例に漏れず長文を書く機会なんてのは少ないのだが、ただ書きたくないわけではないのだ。

 駄学生諸君は共感してくれると思うのだが、不真面目だからといって何も考えていないわけではないのだ。日頃から色々と妄想したり、物語を考えてみたり、夢を自分で作ることが好きだったりする。頭の中の思考を読み取って自動的に文字に起こしてくれる機械があれば、きっと駄学生の類は小説家にも匹敵する量の読み物を生成できるのだ(その質や教養、根底にある「なにか」において小説家の足元にも及ばないのはおいておいて)。だから私は、不真面目な人や駄学生の人こそ、ブログなどの形式を通してその物語を文章に昇華するべきだと思うのだ。文章力や語彙、表現技法、技術などはとりあえず目をつむって、勇気をだして一歩踏み出してみると、もしかしたら自分の底知れぬ信念みたいなものが発見できるかも知れない。自分との対話のツールとして、思いの丈を文章にのせて表現することは有効なのかも知れない。

 

とまあ、こんな感じで自分がブログを始めるにも理屈をつけなければならない面倒臭さを、これからどんどん発信して、自分との対話を深めていきたいと思う。読者? 知らんがな